人生における他者との共鳴

 とても久々のブログだ。書かなかった理由があるわけではなく、書く理由がなかっただけ。自分のブログがあることも忘れていたから、本当にそれだけ。

 

 今の生活は、なんだか生ぬるくて自分の安定を他者の不安定によって感じている、安心安全そのものだ。幸不幸は置いておいたとしても、この生活は自分にとって臨んだ形の一つであると思う。

 人生におけるゴールとはいったいどこなのか。死とか成功とかいろいろ意見はあると思うが、私は「安定」だと思っている。安定というか、「ここに本腰を入れて、一生ここで生きていく覚悟をした時」だと、思っている。

 結婚しかり就職しかり。安定を享受することこそが幸せだと思っている。

 

 でも、私はどこに安定を見出したいのかわかっていない。どうすればいいのか、全くわからない。

 

 私は、今は幸せではあるし、ある程度望んだ環境で働くことができている。でもそれを受けいれるべきか......。毎日のように考えあぐねている。

 正解はないけれど、一種の完成形を知っている。それは両親であり、結婚して家族を形成している。私は何の努力もなしに、その完成形の一部として収まっている。

 それでいいじゃないかと思うかもしれないが、私はいつか抜け出さなければならない。抜け出せとだれかに言われたわけでもないけど、抜け出すことを正解だと思っている。

 

 まあそれは確定として、どうやって抜け出すかがわからない。現状実家を出なければいけない理由がない。交通の便という面でも、家内の待遇の面でも、年齢もある程度まだ大丈夫だ。

 だから、少し、ゆっくり考えようとは思っている。

 

 例えば結婚。

 でも正直他者との生活に耐えられる気がしない。あまりにも精神的にも肉体的にも潔癖なので、厳しい。

 例えば就職。

 でもやりたい仕事がない。一生をかけてささげたい仕事がない。なんだか、なんか、難しい。

 

 別に生きる意味を見出したいわけでもないし、見出さなければいけないわけないし。でもなんか、なんだか、もう少し、生きることへの希望を感じたい。のだ。