欲望を絶やすな。でもなるたけ病むな
人はいつだって"ないものねだり"ばかりをする。
恋人がいたときは、対応が安定している人を求め。
恋人と別れ、その安定している人だけが残ったら、今度はその人の交友関係に嫉妬する。
きっと、その交友関係に自分が含まれるようになったらなったで、きっと違う欲望が顔を出すのだ。
それは、それで美しい。
人間は欲望を絶やしたら終わりなのだ。
未練のない死など恐怖でしかない。
死に向き合わない生き方など恐怖でしかない。
哲学思想が混ざって恐縮だが、ハイデガーの存在と時間を読んだ者であれば、ある程度は共感をしてくれるのではないだろうか。
能動的な生き方というものは、死を自分のものにしてこそ叶えられることであると。
そう。それでいい。
それでいいとは思うし、それ以外の生き方をしたいとは思わないのだが。
とはいえ!
定期的にメンタルブレイクするのは大分いかがなものかと思うのだ。
で、しかもそれを友人に吐露するのはもっとどうかと思うのだ。
年が明けた。
なんか年々人といることに苦痛を感じるようになってしまっており、年越しは洗面所で歯磨きをしながら迎えた。
年が明けたことは友人からの通知で知った(友達といるのに0:00に送ってきてくれてありがとう本当に)。
うん。どうでもいいんだよな年越しとか。何の意味もないのよ。
でも意味を持たせたがるのが人間というもので、意味があるものに価値を感じるのが人間というもので。
意味がなくても価値あると思うけど!でもまあ無理だな、人間有象無象すべてに意識を向け続けることなんて無理なのだから。
はい。
なので、意地でも意味を持たせなければ、意味がないのだ。
じゃあ、何の意味を持たせようか?
生きることに? 行動に? 仕事に? 日常に? 人間関係に?
やりたいこと、たくさんあります。
ありすぎます。
でもたぶん全部をこなすことってできない。
でも、それでいて、挑戦することに意味があるのだ。
で、何か言いたいかというと。
病まないでほしいんです。本当に病んでしまうんです。
周囲にアピールとかしないけど、仲良くなりたい人とか仲いい人にはしてしまうのだ。
それって余計によくない。
くるしい、つらい。
これも病みですか?
2026年の目標は
楽しかったことストックを貯めること
楽しかったことの後に病まないで、ただ楽しかったな~って浸れるようになること
です。
がんばりまっしょい。
クリスマスに縋らなくて平気になった
数年前まで、私はクリスマスに縋っていた。
クリスマスという予定に向けて、ケーキを選び、何を食べたいかを話し合い、その日に向けて生きていた。当日は買い出しに行って、ケーキを受け取り、夜通しパーティーをする。
文字に起こしても、楽しそうだな、と感じる。
でも、今は全くと言っていいほど興味がない。ケーキなんて食べなくていいし、人混みが嫌いだから外には出たくないし、ご馳走を食べる日は自分で選びたい。クリスマスなんていうキリスト教の行事は、私には少しも関係ない。
これって、冷めたわけじゃない。
というのも、多分、クリスマスに縋らなくても生きていけるようになったのだ。
大人になったことによって。
12月25日を支えにせずとも、日常に意味が灯っている。
誰かに会える日
本の発売日
旅行に行く日
ライブの日
予約していたものが届く日
そういう、些細な幸せが日々に点在しているのだ。
だから、私はもうクリスマスには縋らない。
縋ることは、私の本質的な幸せではなかったのだ。
恋愛は投資だ!
いやマジで。
本質突いてます。
ちなみに私の理想は
長期、積立、ローリスクローリターン
本音はローリスクハイリターンがいいけどそんなものは存在しないのでね。
まず、私は、かなり序盤で好きになってしまって、重い重い感情を抱えてしまう傾向がある。
プライドだけは一丁前に高いので、追いラインとか、こっちだけ熱量の高いやり取りとかは絶対しない。
なのでまぁ相手方には悟られてないけど、そりゃあもうバカでかい感情がぐるぐるし続けて日常を蝕むことが常。
イカれてるくらい病み散らかすタイプ。
相談するタイプでもないので誰にもバレてはいないが。
(なぜなら相談というのは解決を求めてするものじゃないから。普通に不要)(とはいえ相談を気兼ねなくできる相手がいるかどうかといわれると......)
中身は都度更新予定〜
振り返っても道がない
ずっとふわふわ生きてきた
学生時代は、子供なのをいいことにすぐに嫌になってやめて。
社会人になってからも、最低限のマナーや常識を身につけているのをいいことに体よくやめて。
何も続けたことがない。
いや正確には
ペット育成アプリとデュオリンゴは続いてるけど。
でも、客観視したら、確実に
"なにもない"
低身長の雑草を適当に踏みつぶして歩いてきただけ。
大した苦労もせず
そのくせ他人には迷惑をかけながら
誇りが欲しいとまではいわない。
でも、こうやって生きてきたんだよ、ということの証明くらい、たまにはほしい。
でも、自業自得だ。
マイクロ波を発してみないか?
言いたいだけです。
でも、気持ちはそこにある。
人間が誰かを求めたりするのは、自然発生的なもの。
人間が誰かを遠ざけるのは、きっかけがあるもの。
そこから導き出される答えは、
人間は生まれながらにして誰かと生きていくことを求めてしまう
ということ、だ。
1人になりたい夜がある。誰かと見たい朝焼けがある。大勢に囲まれていたい特別な日がある。
そんな当たり前が、人間をつくっている。
でも、それでいて。
誰かが誰かを受け入れる技量というのは、人によって本当にまちまちなんだよなぁ、って。
大半は狭量なんだよなぁって。
私も然り。
それでも、誰かを幸せにしたいと思うことが全てなんだよ。
結局人間は変われないし、変わったと思っても他人から見たら同じってこと
数年前にめためたに傷ついた経験で、ある程度強くなれたような気がしてた。
もう、同じ轍は踏まないと信じていたし、誰にも踏ませないと思っていた。
なのに結局、変わらないね。
変われないね。
一度であれば人が悪かったと言えるけど、二度目があるなら、それは自分が悪いよね。
分かるよ。そんくらい。
でも、何をどうすればいいのか分からない。
ずっと弱い。
強くなったはず。少なくとも気持ちは強くなった。
だけど、状況が変わらないなら。同じ状況が襲ってくるのなら。
弱いままなんじゃないの。
強くなれた、なんてのは幻想で。
変わってない。
変わったつもりなだけ。
空しいね。
短命を望む若者
語弊あるかも
長生きしたいとは思っていないz世代?ってやつ?
いやまぁ別にそんな大きく括られても……以外の気持ちはない。
自分も長生きしたいとは思ってない。
だからって今すぐ死にたいとは思ってない。
うーん書くのむずい。
とりあえず、未練がある方が人の生き様としては美しいんじゃないの?ってこと。
やりきって死んだら、そんなん。逆に可哀想じゃん。
人間のいいところって、無限に欲が生まれてくるところじゃないんか?